column 中量生産の意味
中量生産。あまり聞き馴染みのない言葉と思う。本業窯は現在月約2000個、年間で約25000〜30000個の陶器を手作業で生産している。この数は「中量」であると考える。機械を使えば短期間で何千個、何万個と作ることができるが、人間が手で作れる数は知れている。人と機械は全然違う。
では、本業窯は少量生産かというと、決してそうではない。10名以下の体制で分業制をとり、その中で作れる最大数を目指している。「少量」でも「大量」でもないあくまで「中量」にこだわっている。「中量」にこだわる理由は、「少量」ではこなれていかない、「大量(機械)」では腕が上がらないからである。
そもそも分業化が起きたのは需要があったから。品質を上げ、量を作ろうとすると分業制しかない。分業で一人一人が同じ工程の仕事を反復することで、手がこなれていき、クオリティも生産スピードも上がる。一人で全部をやっていては効率が悪い。品質も上がらず、量も作れない。逆に機械を使えば圧倒的に効率はよくなるが、手仕事の技術や感覚が磨かれることはない。人が長い年月に及ぶ反復作業の中で、試行錯誤を繰り返し、手で感じ、磨いた技術は失われてしまうのである。
約100年前に生まれた「民藝」ということば。近代化と美術や工芸との間で生まれたその思想からも中量生産であることの意味は読み取ることができる。
民藝の趣旨にも沿う中量生産
柳宗悦が説いた民藝の趣旨が9つあるが、以下はそのうちの3つ。
複数性 - 民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものであること。
労働性 - くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
分業制 - 数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
人が手で作りながらもニーズに応え続けること。その大切さを唱えている。今は大量生産でも手作り風のものはたくさんあるが、一見同じように見えても熟練の職人の手によって作られたものとは全く違う。ぜひ手に取って確かめてほしい。
また、作り手の顔が見えるからこそ、使っていただく方との距離の近さ、通い合いは大切にしたい。
必需品であり続けるために
民藝の「藝」という字には「木を植えて、育む」という意味がある。
人を育てるのはいつの時代も大変。時間もコストもかかる。機械を使えば時間もコストも削ることはできるが、前述のとおりそれはできない。
日本が貧しく、たくさんのものが必要とされた時代は、瀬戸のどの窯も家族総出で作っていた。たくさん作ればたくさん売れた時代だったが、今はモノ余りの時代。必需品として見られていたものが趣味のものになってしまった。器もその一つ。限られたニーズの中でも、人を、技術を育てながらも、品質と価格のバランスを叶えていきたい。